LDSであることの辛さ【①診断編】

loeys-dietz 症候群

こんにちは、mikanです。

今回は、ロイス・ディーツ症候群(LDS)という珍しい疾患ならではの辛さについてお話します。

私は家族歴がなく、ある日突然動脈瘤が見つかりました。そして、遺伝子検査の結果、LDSという診断を受けました。

動脈瘤と診断されたとき

近くのクリニックで動脈瘤が見つかり、大学病院に紹介されて検査を受けた結果、腹部大動脈瘤があることがわかりました。

動脈瘤が見つかったときは驚きましたが、お腹が脈打つ感じがずっと気になっていたので、その原因がわかって少しすっきりした気持ちもありました。中学生の頃に手術を受けた経験があったので、「大動脈解離を防ぐために人工血管に置き換える手術が必要」という説明を受けたときも、「解離が起こる前に見つかってよかった」と前向きに捉えていました。

私が遺伝子検査を受けることになった経緯は、腹部大動脈瘤の手術を行うにあたって、エーラス・ダンロス症候群の可能性を除外するためでした。もしエーラス・ダンロス症候群だった場合、人工血管の置換手術が難しくなるそうです。

遺伝子検査を受けるまで

遺伝子検査を受けるに、遺伝カウンセラー、遺伝専門医、小児科の医師との面談がありました。

私は手術を受けるために遺伝子検査が必要だったので、正直なところカウンセリングの意義があまり理解できていませんでした。ただ、遺伝情報は非常に個人的な情報であり、それを知ることにも障壁があるようです。

私は手術を急いでいたため、カウンセリングを十分に活用する余裕がありませんでした。診断後にもカウンセリングを受けたかったな、と思っています。

数週間後、遺伝子検査の結果が出ました

私はこれまで不運なことが多い人生を歩んできたので、遺伝子検査でLDSと診断されたときも、あまり強い感情は湧いてきませんでした

「そうなんだ、治療しなきゃな」と冷静に受け止められたのは、人生に対する無力感諦めの気持ちが影響しているのだと思います。

皆さんは診断されたとき、どのように感じましたか?ぜひ教えてください。

診断から1年が経過して

最近の私は「孤独感」「宿命論」を感じています。

「孤独感」は、LDSと診断されたことで人生の計画が変わり、「できないこと」「失ったもの」に目が行きがちだからです。また、「自分に価値がない」と思うこともあります。

それに、同じ病気の人と出会うことが少なく、孤独を感じていましたが、最近X(旧Twitter)を始めて、同じ病気の人たちとつながれたことが嬉しいです。

また「宿命論」と言うとちょっと堅苦しいですが、「前世で何か悪いことをしたから、今の苦しみはその償いなんだ」というように、苦しみを意味のあるものにしようとする感情があるようです。これはどうやら仏教の考え方に近いようです。気になる方は「仏教 カルマ」で調べてみてください。

病気を受け入れられないのは、自分がまだ「否認の段階」にいるからで、心理的な防衛機制が働いているのだと思います。

今後も気持ちが変化していくと思いますので、何かあればまた追記していきます。

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